事件番号:平成25(ネ)752
事件名:損害賠償請求控訴事件
裁判年月日:平成26年4月24日
裁判所名・部:名古屋高等裁判所 民事第3部
主文
1 原判決中,控訴人らに関する部分を次のとおり変更する。
2 控訴人Aは,被控訴人に対し,359万8870円及びこれに対する平成22年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人の控訴人Aに対するその余の請求及び控訴人Bに対する請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じて,控訴人Aと被控訴人との間に生じたものはこれを2分し,その1を控訴人Aの負担とし,その余を被控訴人の負担とし,控訴人Bと被控訴人との間に生じたものは被控訴人の負担とする。
5 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
(1) 原判決中,控訴人らに関する部分を取り消す。
(2) 上記取消しに係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第2 事案の概要
1 本件は,認知症を患った高齢のCが被控訴人の駅構内の線路に立ち入り,被控訴人の運行する列車と衝突して死亡した事故(以下「本件事故」という。)
に関し,被控訴人が,Cの妻である控訴人A,子である控訴人B,1審被告D,同E及び同F(以下,この3名を「1審被告ら」ともいう。)に対し,(1)本件事故当時においてCが責任能力を有していなかった場合には,民法709条又は714条に基づき,連帯して,損害賠償金719万7740円及びこれに対する各訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め(選択的請求1),(2)本件事故当時においてCが責任能力を有していた場合には,民法709条に基づきCが負担した上記損害賠償金支払義務を控訴人ら及び1審被告らがその相続分に応じて承継したとして,妻である控訴人Aに対しては359万8870円,子である控訴人B及び1審被告らに対して各89万9717円及び上記各金員に対する各訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた(選択的請求2)事案である。
原審は,本件事故当時においてCが責任能力を有しなかったと判断した上,控訴人Aに対する請求を民法709条により,控訴人Bに対する請求を同法714条2項の準用により,全部認容し,1審被告らに対する請求を棄却したところ,控訴人らが控訴した。なお,原判決中,被控訴人の1審被告らに対する請求を棄却した部分については不服申立てがなかったので,同部分は確定した。
以下において,略語は,特に断らない限り,原判決の例による。
2 前提事実
次のとおり補正するほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要等」2に記載のとおりであるから,これを引用する。
(原判決の補正)
原判決4頁16行目と17行目の間に,次のとおり加える。
「(3) Cについては,民法7条に基づく後見開始の審判がなされたことはな く,同審判申立手続がなされたこともなかった。」
3 争点及び当事者の主張
次の4のとおり当審における当事者の主張を加えるほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要等」3に記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,1審被告らに関する部分を除く。)。
4 当審における当事者の主張
(1) 控訴人らの主張
ア 控訴人Bは,「事実上の監督者」に該当しないこと
(ア) 原判決は,介護方針の最終決定を行う地位や重要財産の処分等の決定等を行う地位の有無を問題にして,控訴人Bを民法714条1項の法定監督義務者や同条2項の代理監督者と同視し得る「事実上の監督者」としているが,「事実上の監督者」は,現実に日常的に責任無能力者を保護監督する者について論じられる概念であり,介護の中心的役割を果たし,その方針の最終決定を行う地位や重要財産の処分等の決定等を行う地位とは無関係である。
実際に,控訴人Bは,G市に在住して月3回の週末程度しかCの生活に関わることがなかったのであり,現実にCの行動を制御することが全くできない控訴人Bに,「現実に行使し得る権威と勢力を持ち,保護監督を行える可能性がある」などとはいえない。
(イ) また,「事実上の監督者」に当たるか否かを判断するにおいて,控訴人Bが,介護に中心的役割を果たし,その方針決定を行う地位にあったか否か,Cの重要な財産の処分や方針の決定等をする地位や立場にあったか否かを問題にするとしても,以下のとおり,控訴人Bはそのような地位や立場にはなく,Cの介護においても中心的な役割を果たしていない。
すなわち,C所有土地をコンビニエンスストアのフランチャイザーに賃貸した件は,控訴人AがCに代わって契約書の書換え等を行ったものであり,控訴人Bは契約に関与していないし,控訴人BがC所有の土地上に控訴人Aとの共有名義の建物を建築したのは,Cの了承の下で計画されたものであり,認知症発症後のCの財産の管理はすべて控訴人Aが行っていた。また,控訴人Bは,Cの介護の補助を目的として週末にH市に帰っていたにすぎないし,C宅の改造や工夫は,日曜大工に長けていたので行っていたにすぎない。控訴人Bが遺産分割において賃貸中の土地の持分等の重要な財産を取得したのは,Cの死後約10か月後のことであるし,遺族代表として被控訴人の書簡に対応したことは,Cの財産処分や方針の決定等を行う地位の有無とは無関係である。
また,Cの介護方針や介護体制は,親族が顔を合わせた機会に,折に触れて皆で相談して決めたものであり,控訴人Bが話合いを呼びかけたことはなく,控訴人Bが主催したというのは事実誤認である。Cの介護の主体は控訴人AとTであり,Tの転居は控訴人Bが命じたものではなく,Tが長男の嫁として当然との意識から行っていたものであるし,控訴人Bは介護について助言もしていない。
したがって,上記各事情により,控訴人Bが,Cの重要な財産の処分等を決定する地位・立場にあり,Cの介護において中心的役割を果たしていたとする原判決は誤りである。
(ウ) 結果発生の具体的な予見可能性がなかったこと
A 民法714条の責任においても,結果発生の具体的な予見可能性があることは必要であるところ,Cは,他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす差し迫ったおそれがある言動をすることはなく,Cが一人で外出することについての予見可能性すら存在しなかった。 すなわち,控訴人らは,Cの行動状況からして,Cが控訴人AとTが気がつかないうちに,事務所硝子戸から出て自宅兼事務所のすぐ前の歩道からさらに遠方に出かけてしまうことを予見できなかった。また,Cは,外出した際,H駅方向に向かったことも,その構内に入ろうとしたこともなかった上,金銭を携帯せず,切符の買い方も列車の乗り方もわからなくなって久しかったのであるから,控訴人らにおいて,CがH駅の改札口を突破して駅のホームに至る可能性があることも全く予見できなかった。さらに,C宅の周辺には,踏切等線路上に立ち入ることのできる場所も存在しなかったし,Cの身体状態からすると,線路周囲の柵やガードレール等を乗り越えたり,くぐる等して線路上に立ち入ることも考えられなかったため,控訴人らには,Cが列車と衝突すること自体,全く予見できなかった。
したがって,原判決は,漠然とした他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす危険性の予見可能性を理由として,控訴人Bの監督義務違反を認めたものであって,控訴人Bに結果責任を負わせるに等しく,誤りである。
b 徘徊の予見可能性があることは,他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす危険について具体的な予見可能性があることに当たらないこと
Cは,従前,外出して行方不明となった2回を含め,線路内や他人の敷地内に侵入したり,公道上に飛び出して交通事故を惹起したり,外出した際やデイサービスでも他人に粗暴な振る舞いをしたりしたことは一切なかったし,自宅でもそうであった。また,Cは,見当識障害が生じていても,一人で水遣り等をして自宅兼事務所に戻ることができるなど,長年の習慣として身に付けた行動は自然と行うことができたから,交通ルールに則った行動等をすることができたと考えられる。
そして,厚生労働省は,徘徊を完全に防止する施策ではなく,認知症患者が徘徊することを前提として,認知症患者やその家族等を支える地域社会を作ろうとしており,このことは,徘徊自体が他人に危害を及ぼす具体的な危険のある行為として許容されないものであるとは考えていないことを示すものである。
また,在宅でも施設でも,厳密な意味で要介護者から常に目を離さないことは不可能であるから,認知症高齢者自立度IVの判断にあたっての留意事項である「常に目を離すことができない状態である。」というのは,認知症高齢者自立度IIIと比較して「日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さ」が見られる程度がより頻繁になり,介護不要のまとまった時間帯が存在しないという程度のものと解すべきである。
したがって,控訴人Bにおいて,Cが控訴人Aらが気づかないうちに一人で外出し,他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす危険を具体的に予見することはできなかった。
c 控訴人Bは,Cが単独で外出することを予見できなったこと
Cは,自宅兼事務所周辺よりも遠方に出かけたいときは,昼夜を問わず,控訴人Aらに対し,「俺のかばんはどこにある。」などと言い,控訴人Aらがかばんを手渡すまで出かけることはなく,その後は,「Rに行く。」などと行き先を告げるのが常であったため,Tは,Cの外出願望を察知してCの外出に付き添うことができていた。そのため,本件事故当時,控訴人AやTが起きている時間帯に,同人らが気がつかないうちにCが一人で自宅兼事務所周辺より遠方に出かけることは,一切なかった上,Cが控訴人Aの就寝中に2度外出した後は,玄関に人感センサーを設置したことにより,夜間もCが控訴人Aに気づかれずに外出することはできなくなったので,以後は,昼夜を問わず,Cが単独で外出したことはなかった。そして,Cは,本件事故の頃には外出願望を訴える頻度が少なくなっていた。
したがって,控訴人Bは,Cが単独で外出することを予見することができなかった。
イ 控訴人らは,Cの単独での外出防止措置を尽くしていたこと
(ア) 平成19年当時,外出願望のある認知症の家族がいる場合に,出入口に人感センサー等の機器を使用することが,一般の介護体制であるとは考えられていないし,それまで,控訴人Aらが気がつかない間に,Cが自宅兼事務所の前の歩道より遠方に外出したことはなく,外出願望も薄れていたことなどからすれば,事務所硝子戸のチャイムのスイッチを入れておくべき法的義務はなかったし,仮に,チャイムのスイッチを入れていたとしても,家族が入浴やトイレ,家事,雑用等でCの傍を離れなければならない状況は当然生じるから,Cが単独で外出しようとした場合,これを完全に防止することは不可能である。
(イ) 原判決は,控訴人Bが,1審被告EのC宅の訪問頻度を増やしたり,ホームヘルパーを利用したりしていなかったことを問題にするが,1審被告EのC宅の訪問頻度を増やしたからといって,Cの単独での外出防止にはつながらないし,ホームヘルパーは,入浴,食事,排泄介助等の特定の目的のために,一定の時間に限って利用できるものにすぎず,一分の隙もなく認知症患者を監視するために利用するものではないし,そのようなサービスを提供する事業者は存在しない。
したがって,控訴人Bが,1審被告EのC宅の訪問頻度を増やしたり,ホームヘルパーを利用したりしていなかったことに問題はない。
(ウ) 認知症患者を自己の意思で外に出ることができない環境に置くことは違法な拘束に当たり,許されないばかりか,認知症患者の苛立ちやパニックを生じさせて危険であり,症状の進行や介護者との信頼関係破壊の原因となる。
ウ 控訴人Aには,Cが一人で徘徊することを防止するための適切な行動をとるべき不法行為上の注意義務違反は存在しないこと
(ア) 不法行為における注意義務の存否の判断における予見可能性は,単なる抽象的な第三者の権利を侵害する可能性があることについての予見可能性では足りず,具体的な予見可能性が存在しなければならない。ところが,控訴人Aは,控訴人Bと同様に,Cが一人で外出することを予見できなかったし,また,徘徊自体は他人の生命,身体及び財産に危害を及ぼす具体的な危険を伴う行為ではないのであるから,本件事故の結果発生を予見できなかった。
(イ) また,仮にCの家族の間で,控訴人Aが一定の範囲でCの介護を行うという介護体制が取り決められて,控訴人Aもその役割を引き受けたとしても,控訴人Aは当時85歳であり,要介護1の認定を受けていて身体にも不自由があり,夜間にCが何度も起きるために夜間断続的にしか睡眠をとることができなかったから,控訴人Aに期待された役割としては,同控訴人が担える範囲内のものに限定されていたのであり,同控訴人に対し,厳密な意味で「Cから目を離さずに見守ること」を義務とするようなものではない。そして,Cは,遠方へ出かけようとするときは,必ず控訴人AやTに声をかけていたし,夜間は,控訴人Aが就寝中でも,Cが外出しようとした場合には,玄関の人感センサーで気付くようにしていたものである。
そもそも,Cに対する介護体制といっても,合理的に可能な範囲で誰かが傍にいてCを見守っていたという程度の趣旨のものであり,このような見守りも,Cが負傷したり外出して戻れなくなったりして心身に悪影響を及ぼすことを回避するためのものであって,第三者の権利侵害を回避する観点からのものではない。
(ウ) したがって,控訴人Aには,Cが第三者の権利を侵害することがないように,一人で徘徊することを防止するための適切な行動をとるべき注意義務やCから目を離さずに見守るべき注意義務は存在しない。
(エ) 仮に控訴人Aが上記注意義務を負うとしても,上記の合理的に可能な範囲で負うものであり,85歳の控訴人Aが最大でも6,7分程度まどろんだからといって,過失があったとはいえない。
エ 被控訴人には安全確保義務違反が存在すること
鉄道事業者等,自己の事業自体が高度な危険を伴うものである場合には,それによって利益を得ている以上,それに応じた高度な作為,不作為義務
を負担しているというべきところ,社会は,幼児や認知症患者のように危険を理解できない者や,四肢の障害により状況に対応できない者など,様々な人によって構成されているのであるから,このような社会的弱者も安全に鉄道を利用できるように,軌道敷とそれ以外とをフェンス,施錠等によって分離し,階段には手すりを設け,エスカレーター,エレベーターやホームドアを設置し,ホームや通路に突起をもった誘導レーンを敷設したり,監視カメラを設置したり,介助や監視のための人員を配置したりするなど,施設,設備及び人員の充実を図って安全を確保すべき注意義務があるというべきである。
そして,Cは,自宅兼事務所を出た後,自宅からH駅の改札を通ってホームを降り,列車に乗ってJ駅まで移動し,ホーム先端の施錠されていない扉を開けて階段を下り,本件事故現場の線路上に至ったというべきであるところ,被控訴人は,駅構内について駅係員による監視を十分行わず,J駅ホームについては,その先端のフェンス扉が施錠されずに,取っ手をひねれば,誰でも容易に開けることができる状態にしていたのであるから,上記安全確保義務違反があったことは明らかである。
したがって,同義務違反を認めなかった原判決は誤りである。
(2) 被控訴人の主張
ア 控訴人Bが「事実上の監督者」に当たることについて
(ア) 控訴人Aは,Cの財産管理を行っていなかったことを認めているところ,月に2回しかC宅を訪問しない1審被告Eや控訴人Bの妻にすぎないTがCの財産管理を行っていなかったことは,控訴人らも認めざるを得ないはずであるから,控訴人BがCの重要な財産の処分や方針の決定等を行う地位等にないとすれば,Cの財産管理や監護体制の構築・維持を行っていたのが誰であるのか不明となってしまう。また,控訴人BがCの重要な財産を取得したのは,控訴人Bは,Cの重要な財産の処分や方針の決定等をする地位・立場を引き継いでいたからこそといえるし,被控訴人からの手紙に対し,遺族代表として返答をしていたことからも,控訴人Bが,長男として万事を取り仕切っていたと考えるのが合理的である。
(イ)A 原判決は,他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす危険を具体的に予見することが可能であれば足りるとして,単なる抽象的な予見可能性で足りるとしているわけではなく,結果責任を負わせるものでもない。控訴人らによっても,Cは危険な場所に立ち入っても,そこがそのような場所であると認識できない状態であったことを認識していたというのであるし,本件事故当時,Cの外出願望は和らいでいたというにすぎず,なくなっていたわけではない。また,福祉施設Kに通
った日は,そこから帰ると散歩に出るというのがCの行動パターンであったのであるから,帰宅後に散歩に出たいという願望が生じることはあるし,過去2回の徘徊実績もあるから,Cが単独で外出すれば,積極的にせよ消極的にせよ,他者に危害を加えることとなり得ることは,容易に予見可能であった。
なお,他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす差し迫ったおそれがあることの認識までは不要であることは,原判決の趣旨から明らかである。
b 徘徊は,その際に交通事故に遭うなどして他人の財産に危害を及ぼすことはあるし,過去2回の一人での徘徊の際にも,タクシー運転手やコンビニ店員に迷惑をかけているのであるから,徘徊が予見可能であることは,他人の生命,身体,財産に危害を及ぼす危険についての具体的な予見可能性があるということである。
c Cが,外出する際には「かばんはどこだ」などと家族に声かけをしていたとしても,過去に少なくとも2度も声かけをしない無断外出・徘徊をしたことがあるし,平成19年2月には,Cには昼夜逆転や夜間の徘徊が目立ってきていたのであるから,過去に一人で外出したのが夜間だけであるからといって,昼間の徘徊も予見すべきであるし,日没後の徘徊はよりいっそう注意をすべきであった。
イ 控訴人Bが,Cの単独での外出防止措置を尽くしていなかったこと
(ア) 控訴人らも玄関に人感センサー付きのチャイムを設置して以降,本件事故発生までの約1年の間,昼夜を問わずCが単独で外出することを完全に防ぐことはできていたと主張するとおり,上記人感センサー付きチャイムを設置したことは有効であったのである。また,家族が入浴やトイレ等でCの傍らを離れなければならない状況の発生が不可避であるからといって,事務所硝子戸の人感センサーをオフにしてよいということにはならないし,スイッチが入っていれば,うたた寝をしていた控訴人Aのみならず,自宅玄関先でダンボールの片付けをしていたTも,Cの外出に気づくことができたのである。事務所硝子戸の人感センサーのアラーム音が大きすぎるのであれば,音量調節可能なものに取り替えることもできたことは,控訴人Bも認めるところであるのに,控訴人Bはそのような措置を施していなかった。
(イ) そして,控訴人AとTの二人での介護体制が厳しいとの認識であれば,1審被告EにC宅への訪問回数を増やすように依頼し,1審被告Eを加えた体制にすれば,控訴人AとTの負担が軽減されたことは明らかであるし,そもそもCは,昼間はデイサービスに通所していたのであるから,控訴人AとTの二人の介護体制がそれほど厳しいとはいえないし,介護の専門家である1審被告Eが加われば,より一層手厚い介護体制となったのは明らかである。
また,ホームヘルパーの業務には,介護保険の利用によっても,「日常生活上の世話」(介護保険法8条2項)や「居宅要介護者に必要な日常生活上の世話」(介護保険法施行規則5条)があり,Cが一人で外出するのを引き止めたり,それに付いて行ったり,控訴人Aらに報告したりすることが「日常生活上の世話」に含まれることは明らかであり,介護保険を利用せず,一般のヘルパーにこのような業務を依頼することも可能である。
さらに,認知症高齢者の徘徊対策として,携帯GPS等の機器が普及していたことも公知の事実であるが,控訴人Bはこれによる対策も講じていなかった。
ウ 控訴人Aには,民法709条による過失があったこと
(ア) 不法行為における予見可能性のためには,控訴人Aが主張するような詳細な具体的認識を必要としない。Cには強い外出願望,徘徊傾向が継続していたのであるから,控訴人AにはCが無断外出・徘徊をすることについて予見可能であった。そして,本件事故当時,Cには認知症による重度の見当識障害があり,自らの置かれた場所や状況を理解する能力が欠如し,危険な場所に立ち入ってもその場所が危険な場所であることを認識できない状態であったから,Cを単独で外出させれば,積極的にせよ,消極的にせよ,容易に他者に損害を加えることとなり得ることは明らかであった。控訴人Aは,Cが危険な場所に立ち入ってもその場所が危険な場所であることを認識できない状態であることの認識があった。
したがって,控訴人Aは,Cが徘徊すれば第三者に損害を与えることを容易に予見できた。
(イ) 家族会議I及び同IIでCの介護体制が決定され,同人の日常の介護について控訴人AとTがこれを引き受けることとなったところ,Tは,証人尋問において,Cが自宅兼事務所にいる際に必ず付き添っていたわけではなく,Cと控訴人Aが二人でおり,Tが離れていることがある旨証言していることからすれば,Tが控訴人Aに対し,Cに付き添い,目を離さないで見守ることを期待していたことは明らかである。控訴人Aは,Cの配偶者で,唯一の同居人であったので,Cと一緒に過ごす中で自らが可能な範囲でCの付添・見守りを行っていたと考えるのが自然であるし,Tが証言するように,実際にCが外出したいと言い出した際に,Tがその場にいないときは,Cが外出したがっていることをTに伝えるようにしていたということは,控訴人AがCの介護において,自らに期待されるCの見守りという役割を引き受けていたことの証左である。そして,控訴人Aは,外部に開放された人感センサーのスイッチが切られた場所で,徘徊癖があり靴を履いたままくつろいでいるCと二人きりでいる時に,Cの徘徊を防ぐ術を有するのは控訴人Aしかいないのであるから,Cから目を離さないようにしておくのは最低限度の注意義務であり,容易にできることであるから,控訴人Aが高齢で身体が不自由であるからといって,上記の注意義務を免れるものではない。
エ 被控訴人に過失がないことについて
Cは,2回目に行方不明になった際にタクシーに乗車したのであるから,タクシーを利用してJ駅に至った可能性を否定できないし,何らかの方法でJ駅に至ったCが,線路と道路を仕切る柵の隙間から線路敷地内に進入し,本件事故現場に至ったことも十分考えられる。
Cは,予想外のことが出てくると混乱して自ら問題点を解決することができなくなったり,計画を立てたり,順序立てたり,手順に従って作業をすることができなくなる状態であったというのであるから,仮に,CがH駅改札口に至ったとしても,バーが閉じた自動改札機が眼前に現れて混乱して立ち尽くしたり,プラットホームに至ったとしても,場所の理解や列車への乗車方法がわからずに立ち尽くしたり,乗車できたとしても降車できなかったりすることは想像に難くない。
また,H駅では,J駅に至るL本線下りのプラットホームは改札口から最も遠くにあるから,Cが同ホームに至ったことの説明がつかないし,Cは数段の段差すら手すりがなければ歩けないというのであるから,J駅ホームのプラットホーム先端部の階段に足を踏み出したとしても,J駅ホーム先端の戸当たり付両面回転施錠を開け,既に日没して真っ暗となってい
て,手すりも滑り止めもない10段近くの階段を転倒することなく下り,砕石上を十数m歩いて本件事故現場に至ったとは考えにくい。
さらに,Cの着衣に縫い付けられていたという氏名等を記載した布は,一辺数㎝程度のものであるから,改札口で不特定多数の旅客と対応しているH駅係員が当該布の存在に気づくことはできなかった。
そもそも,警察官は,時間をかけて本件事故現場を綿密に捜査したが,Cがいかなる経路をたどって線路敷地に立ち入ったのか特定できなかったのであるから,Cが本件事故現場に至った経路は不明というほかないのに,Cが本件事故現場に至った経路を特定して被控訴人に過失があるという控訴人らの主張は前提を誤るものである。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は,被控訴人の控訴人Aに対する請求は,民法714条による損害賠償請求権に基づき,359万8870円及びこれに対する平成22年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で認容し,その余を棄却すべきであり,被控訴人の控訴人Bに対する請求は,棄却すべきであると判断する。
その理由は,以下のとおりである。
2 認定事実
次のとおり原判決を補正するほかは,原判決「事実及び理由」欄の「第3 当裁判所の判断」1に記載のとおりであるから,これを引用する。
(原判決の補正)
(1) 原判決23頁3行目から4行目の「家族会議Iを開いて今後のCの介護をどうするかを話し合い」を,次のとおり改める。
「C宅で顔を合わせた際など折に触れて,今後のCの介護をどうするかを話し合い(以下,この時期における,このような話合いを全体として「家族会議I」という。)」
(2) 原判決23頁8行目の「乙54,55」を「乙54~56,99,100」と改める。
(3) 原判決23頁11行目の「H市M町の自宅」の次に「(控訴人Bが,将来の両親の介護等のために,C所有の土地上に控訴人Aとの共有名義で建築したもの)」を加える。
(4) 原判決24頁19行目末尾に,次のとおり加える。
「N医師は,Cを診察した結果,Cは,平成14年10月にはアルツハイマー型の認知症を発症しているものと診断した(乙39,49)。」
(5) 原判決25頁8行目の「言い出すようになった」を,次のとおり改める。
「言い出すようになり,このように出かけたくなったときには,ほとんどの場合,ごそごそし始めて,家人に対し,「俺のかばんはどこにある。」と尋ね,控訴人Aからかばんを手渡されて外出しようとした」
(6) 原判決25頁18行目と19行目の間に,次のとおり加える。
「 O病院でCを診察していたN医師は,平成15年1月までの診察結果に基づき,同年3月4日,Cが中等度の老年痴呆(認知症のこと)であると診断する旨の主治医意見書(乙39)を作成し,また,平成16年2月24日には,ほぼ同内容の主治医意見書(乙40)を作成し,Cの認知症については,時に場所及び人物に関する見当識障害や記憶障害が認められ,概ね中等度から重度に進んでいる旨診断した(乙49,63)。」
(7) 原判決26頁8行目の「被告Aは,」の次に「a11年b月c日生まれで(乙68),」を加える。
(8) 原判決27頁19行目及び20行目を,次のとおり改める。
「(18) 控訴人A,控訴人B,1審被告E及びTは,平成19年2月,Cが要介護4の認定を受けたことを踏まえ,C宅で顔を合わせた際など折に触れ,Cの介護の在り様について相談し(以下,この時期における,このような話合いを全体として「家族会議II」という。),」
(9) 原判決27頁26行目の「乙54~56」を「乙54~56,99,100,控訴人B本人1~2頁及び9頁」と改める。
(10) 原判決28頁5行目から6行目の「行っていた(乙66,被告B本人5頁)。」を,次のとおり改める。
「行い,また,預金管理や不動産の賃貸借契約の更新・切替えなどのCの財産管理全般は,もっぱら控訴人Aが行っていた(乙66,控訴人B本人5,23頁)。」
(11) 原判決28頁11行目末尾に,次のとおり加える。
「Cは,居眠りをした後は,Tの声かけによって3日に1回くらいは散歩し,その後,夕食及び入浴をして就寝するという毎日を送っており,Tは,Cが眠ったことを確認してから帰るようにしていた(証人I8頁)。」
(12) 原判決28頁26行目末尾に,改行の上,次のとおり加える。
「 控訴人Bは,警察から,Cの遺体とともに,Cの死亡当時に身に着けていた衣類や所持していた物品を渡されたが,ズボンの前チャックは開いていたとの説明を受け,渡された物品には財布や現金はなく,JRの乗車券もなかった(乙54)。」
3 争点(1)(本件事故当時のCの責任能力の有無)について
当裁判所も,Cが,本件事故当時,重い認知症のために責任能力がない状態にあったものと判断するが,そのように判断する理由は,原判決「事実及び理由」欄の第3の2(原判決29頁14行目から30頁23行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
したがって,被控訴人の控訴人らに対する選択的請求2は,いずれも理由がない。
4 争点(3)(控訴人らの民法714条に基づく責任の有無)について
(1) 責任無能力者の加害行為によって生じた損害の賠償責任等に関する民法の規定について
ア 民法は,その依拠する過失責任主義の原理に従って,自らの故意又は過失に基づく行為によって他人に損害を加えた場合でなければ,損害賠償責任を負わないものとしている(同法709条)。そして,責任無能力者,すなわち,他人に損害を加えた未成年者で,自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかった者,あるいは精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は賠償責任を負わないものとする(同法712条,713条本文)一方,このように責任無能力者の損害賠償責任を否定することで,責任無能力者の加害行為(故意又は過失以外の不法行為成立要件を具備する違法行為。以下同じ。)により損害を被った被害者が保護されなくなって,被害者の救済に欠けることがないようにするため,当該責任無能力者を監督する法定の義務を負う者(以下「監督義務者」という。)又は監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者(以下「代理監督義務者」といい,監督義務者と併せて「監督義務者等」という。)は,監督義務を怠らなかったとき,又は監督義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときであること(以下「免責事由」という。)を立証しない限り,上記損害について賠償責任を負うものとしている(同法714条1項,2項)。
この監督義務者等の損害賠償責任は,監督義務者等が監督義務を怠ったとの監督上の過失を理由とするものであるから,監督義務者等に責任無能力者の加害行為そのものに対する故意又は過失があることを必要とせず,責任無能力者に対する一般的な監督義務違反があることをもって足りるのであり,したがって,監督義務者等において,責任無能力者の現に行った加害行為に対する具体的な予見可能性があるとはいえない場合でも,それが責任無能力者に対する監督義務を怠ったことにより生じたものである限りは,損害賠償責任を免れない。そして,監督義務者等の責任無能力者に対する監督義務は,原則として責任無能力者の生活全般に及ぶべきものであるので,監督期間において責任無能力者に加害行為があった場合には,監督義務者等の監督上の過失が事実上推定されることになるものというべきである。
このような責任無能力者の加害行為によって生じた損害について監督義務者等の賠償責任を定める民法714条の規定は,同損害に対する賠償責任を責任無能力者については否定する一方,そのことの代償又は補充として,責任無能力者の監督義務者等に同損害に対する賠償責任を認めることで,被害者の保護及び救済を図ろうとするものであり,監督義務者等に監督上の過失があることをもって,監督義務者等に対する責任無能力者の加害行為によって生じた損害の賠償責任の根拠とする点において過失責任主義の原理になお依拠しているものの,監督義務上の過失の不存在等の免責要件の存在の立証責任を監督義務者等に負担させるとともに,監督義務者等の監督上の過失について,責任無能力者の加害行為そのものに対する過失(責任無能力者のした具体的な加害行為を予見しこれを回避すべき義務としての直接的過失)ではなく,責任無能力者の生活全般に対する一般的な監督義務上の過失(責任無能力者のした具体的な加害行為との関係では間接的過失)で足りるものとする点で,無過失責任主義的な側面を強く有する規定であり,その機能を実質的に観察するときには,監督義務者等に対し,責任無能力者の加害行為によって生じた損害について責任無能力者に代わって賠償責任を負わせる面(代位責任的な面)のある規定であることも否定できない。
イ また,民法709条は,上記アのとおり,故意又は過失によって他人の権利又は法律上の保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う旨定めているから,責任無能力者が加害行為をした場合において,法律上又は条理上責任無能力者に対して監督義務を負う者が,責任無能力者の当該加害行為に対する予見可能性があり,相当な監督をすることによって当該加害行為の発生を防止することができたもの(結果回避可能性の存在)であるのに,これを怠ったため上記加害行為を防止できなかったものと認められるときには,上記の監督義務を負う者は,同条に基づき,当該加害行為の被害者に対して損害賠償責任を負うものというべきである(最高裁昭和49年3月22日第二小法廷判決・民集28巻2号347頁参照。以下,この判決を「最高裁昭和49年判決」という。)。
したがって,民法714条による監督義務者等にあっては,その監督する責任無能力者の加害行為について上記の予見可能性と結果回避可能性の存在が肯定される場合には,過失責任主義の原理に依拠する同法709条によっても,当該加害行為の被害者に対して損害賠償責任を負うことになる。
ウ なお,責任無能力者の加害行為が犯罪行為に該当する一定の場合には,犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律に基21 同法20条1項,2項2号により,控訴人AはCの配偶者として,その保護者の地位にあったものということができる。
イ ところで,夫婦は,婚姻関係上の法的義務として,同居し,互いに協力し,扶助する義務を負う(民法752条)ところ,この協力扶助義務は,夫婦としての共同生活が物質的にも精神的・肉体的にも,お互いの協力協働の基になされるべきものであり,互いに必要な衣食住の資を供与し合い,あたかも相手の生活を自分の生活の一部であるかのように,双方の生活の内容・程度が同一のものとして保障し,精神的・肉体的にも物質的にも苦楽をともにして営まれるべきことを内容とするものであるから,婚姻中において配偶者の一方(夫又は妻)が老齢,疾病又は精神疾患により自立した生活を送ることができなくなったり,徘徊等のより自傷又は他害のおそれを来すようになったりした場合には,他方配偶者(妻又は夫)は,上記協力扶助義務の一環として,その配偶者(夫又は妻)の生活について,それが自らの生活の一部であるかのように,見守りや介護等を行う身上監護の義務があるというべきである。そうすると,現に同居して生活している夫婦については,上記協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情があれば格別,そうでない限りは,上記協力扶助義務が,理念的には,対等な夫婦間における相互義務というべきものではあるけれども,上記のように配偶者の一方(夫又は妻)が老齢,疾病又は精神疾患により自立した生活を送ることができなくなったなどの場合には,他方配偶者(妻又は夫)は,上記協力扶助義務として,他の配偶者(夫又は妻)に対し,上記の趣旨において,その生活全般に対して配慮し,介護し監督する身上監護の義務を負うに至るものというべきであり,婚姻関係にある配偶者間の信義則上又は条理上の義務としても,そのように解される。
そして,精神保健福祉法上の保護者については,平成11年の同法改正によって,従前存在していた保護者の自傷他害防止義務は削除されたが,保護者には,依然として,精神障害者に治療を受けさせ,及び精神障害者の財産上の利益を保護しなければならず(同法22条1項),精神障害者の診断が正しく行われるよう医師に協力し(同条2項),また,精神障害者に医療を受けさせるに当たっては,医師の指示に従わなければならない(同条3項)との義務があるものとされて
いるところ,同法は,精神障害者に後見人又は保佐人がない場合には,配偶者が保護者となる旨定めている(20条2項)。このような同法の定めは,医師と連携を取って精神障害者への適切な医療を確保しつつ,その財産上の利益を保護することとされる保護者の義務が,精神障害者の配偶者が,夫婦間の協力扶助義務の一環として,精神障害者の生活全般に対して配慮し,介護し監督する義務を履行することにより,履行される関係にあるとの趣旨によるものと解されるのである。
そうすると,配偶者の一方が精神障害により精神保健福祉法上の精神障害者となった場合の他方配偶者は,同法上の保護者制度の趣旨に照らしても,現に同居して生活している場合においては,夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情のない限りは,配偶者の同居義務及び協力扶助義務に基づき,精神障害者となった配偶者に対する監督義務を負うのであって,民法714条1項の監督義務者に該当するものというべきである。
以上のように解することは,民法714条1項の監督義務者の損害賠償責任が,家族共同体における家長の責任に由来するという沿革に齟齬するものではなく,かえって,配偶者は他方配偶者の相続財産に対して2分の1の法定相続分を有するものとされていること(民法900条1号)と相まって,上記沿革に沿い,責任無能力者の加害行為によって生じた損害の被害者を救済する制度としての同法714条の趣旨にも合致するものということができる。
ウ 上記イの見地から控訴人Aの監督義務者該当性を検討するに,上記2の認定事実によれば,控訴人Aは,Cと昭和20年に婚姻して以来,Cと同居して生活してきた夫婦であること,Cは,平成14年10月にはアルツハイマー型の認知症を発症し,平成17年8月と平成18年12月には,本件各徘徊をして行方がわからなくなることがあった上,平成19年2月には認知症により,要介護4の認定を受けて,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが頻繁に見られ,常に介護を必要とし,常に目を離すことができない状態であると判定され,Cは,本件事故当時の相当前から,認知症の進行により,意思疎通が困難で常に目を離すことができない状態であり,場所の理解等もできない状態で,重度の認知症の状態にあったこと,Cの認知症の発症及び進行を受けて,控訴人Aは,平成14年3月頃の家族会議Iにおける,Cの介護についての話合い後は,G市からH市に転居したTに毎日C宅に通ってもらい,控訴人Bにも1か月に3回くらい週末にC宅を訪問してもらい,また,介護施設に勤務する1審被告Eからは,介護の専門職として,時々意見や助言を受けたり,C宅を訪問してもらったりするなどの援助を受けながら,Cの介護をしていたものであることが認められるから,Cの配偶者である控訴人Aは,重度の認知症を患って自立した生活を送ることができなくなったCに対する監督義務者の地位にあったものということができる。
この点に関し,控訴人らは,本件事故当時,控訴人A自身が高齢の身障者であって,Cを監督できるような状態にはなかったから,控訴人AをCの監督義務者であるということはできない旨主張する。
しかし,上記2の認定事実によれば,控訴人Aは,平成18年1月,左右下肢に麻痺拘縮があり,起き上がり・歩行・立ち上がりはつかまれば可能,座位保持・片足での立位は支えが必要であり,日常の意思決定は特別な場合以外は可能,ひどい物忘れがときどきある旨の調査結果に基づき,要介護1の認定を受けたこと,しかし,控訴人Aは,その後も,上記のとおり,T,控訴人B及び1審被告Eの補助や援助を受けながら,Cの妻として,Cの生活全般に配慮し,介護するなどしていたことが認められるから,控訴人Aの上記のような心身の状態をもっては,控訴人Aについて,未だ,夫婦としての協力扶助義務の履行が法的に期待できないとする特段の事情があるということはできないし,他に上記特段の事情を認めるべき証拠はない。
そして,控訴人らは,他にも,控訴人Aが監督義務者等には該当しない旨を種々に主張するが,いずれも採用できない。
(3) 控訴人Bの監督義務者等該当性
ア 上記2の認定事実によれば,控訴人Bは,Cの長男であり,昭和57年に転勤に伴い,妻のTとともに,G市に居住するようになったが,平成14年3月頃の家族会議Iの後,Tが,控訴人Bと相談の上,Cの介護のために単身でH市の自宅に戻ったこと,その後は,本件事故当時まで,Tは,長男である控訴人Bの妻の立場で,毎日,H市の自宅からC宅に通い,控訴人Aを助けてCの介護に当たり,平成18年1月には,控訴人Aが両下肢の麻痺拘縮などにより要介護1に認定されるような心身の状態となったこともあって,Cが就寝している夜間を除き,在宅しているときのCの主たる介助者としての役割を果たしていたこと,控訴人B自身も,本件事故の直前頃には,1か月に3回程週末にH市の自宅に帰宅し,C宅を訪問し,Cの散歩に付き合ったりするなどしていたことが認められる。
上記事実によると,控訴人Bは,Cの長男である上,自ら及び妻のTにおいてCの介護に相当深く関与していたものであり,既に認定したCの心身の状態及び控訴人Aの年齢や心身の状態からすると,仮にCについて成年後見の申立てがなされた場合には,後見開始決定がされ,控訴人Bが成年後見人に選任される蓋然性が大きかったものと推認される。
しかし,控訴人Bは,本件事故当時,Cの長男としてCに対して民法877条1項に基づく直系血族間の扶養義務を負っていたものの,この場合の扶養義務は,夫婦間の同居義務及び協力扶助義務がいわゆる生活保持義務であるのとは異なって,経済的な扶養を中心とした扶助の義務であって,当然に,控訴人Bに対して,Cと同居してその扶養をする義務(いわゆる引取り扶養義務)を意味するものではないのであり,実際にも,控訴人Bは,本件事故の相当以前から,Cとは別居して生活しており,上記(2)のとおり,Cはその自宅において妻である控訴人Aの介護を受けて,控訴人Aと共に生活していたものであり,控訴人Bが,Cの介護又は生活のために,まとまった経済的出捐をしたことを認めるべき証拠もない。また,Cについては,成年後見開始手続がなされたことがないため,控訴人BがCの成年後見人に選任されたことはない。
そして,Cは本件事故の相当前から,精神保健福祉法上の精神障害者に該当する状態にあったが,控訴人BはCの扶養義務者にすぎないので,同法20条2項により,家庭裁判所の選任行為を待って初めてCの保護者となる(同項4号)ところ,控訴人BについてCの保護者に選任する裁判がなされたことのないことは弁論の全趣旨から明らかであるから,本件事故当時,控訴人BはCの保護者の地位にもなかったものである。
そうすると,控訴人Bについて,Cの生活全般に対して配慮し,その身上に対して監護すべき法的な義務を負っていたものと認めることはできないから,控訴人Bが,本件事故当時,Cの監護義務者であったということはできない。
イ また,上記(2)において説示したとおり,本件事故当時,控訴人AがCの監督義務者であったというべきであるところ,上記アのとおり,控訴人B及びその妻であるTが控訴人AによるCの介護を補助し,これに相当深く関与していたということができるが,控訴人Bが,本件事故当時,控訴人Aから,Cの介護を委ねられて,これを引き受けていたとの事実を認めるに足りる証拠はない。
なお,上記2で認定した事実によれば,Tが,家族会議Iの後,控訴人Bと相談の上,G市から自宅のあるH市に転居し,毎日C宅に出向いて,Cが就寝する夜間を除き,Cが在宅している間のCの介護に当たることで控訴人AによるCの介護を補助するようになり,本件事故当時も同様であったことに加え,平成18年1月には控訴人A自身が高齢で,要介護1の認定を受けるような心身の状態となったこともあって,夜間を除くCの在宅している間のCの介護の主たる担い手はTであったということができるから,このような事実によると,控訴人Bが,家族会議Iの後,Cが就寝する夜間を除き,Cが在宅している間のCの介護を引き受け,そのために妻であるTをこれに当たらせたものとみる余地がないではない。しかし,上記のようにTがCの介護に当たっている場合でも,ほとんどの場合,控訴人Aもその場に居て介護状況を見守っていたことが窺われる(乙56,66,証人T)から,法的には,TによるCに対する介護行為は,控訴人AのCに対する身上監護のための補助行為であると評価されるべきものであり,控訴人Bが控訴人AからCに対する介護を引き受け,その履行行為をTを使ってなしていたものとまではいうことができない。
したがって,控訴人Bが,本件事故当時,Cの代理監督義務者であったということもできない。
ウ 被控訴人の主張について
被控訴人は,①控訴人Bが,Cの長男としてCに対する扶養義務を負うとともに,②実際にも,家族会議I及びIIを主催し,Cの介護を引き受け,引き受けた介護義務を履行するため,妻であるTをC宅のあるH市に住まわせてCの介護に当たらせるなど,Cの介護体制について最も責任を負う立場にあり,③Cについて成年後見開始申立手続がなされていれば,成年後見人に選任されていた者であるから,事実上の監督者として,代理監督義務者又はこれに準じる者に当たる旨主張する。
(ア) ①の点について
控訴人Bが,Cの長男としてCに対して扶養義務を負うからといって,そのことにより,控訴人BのCに対する監督義務が基礎付けられるものでなく,そのことをもって,控訴人BがCの監督義務者等にあったということのできないことは,上記アにおいて説示したとおりである。
(イ) ②の点について
上記2で認定したとおり,家族会議I,家族会議IIといっても,Cについて認知症が認められるようになった平成14年3月頃からの一時期とCが要介護4の認定を受けた平成19年2月の一時期において,控訴人A,控訴人B,T及び1審被告EがC宅で顔を合わせた際などに,Cの介護方針や介護体制について意見を交わし,決定していった状況を指すのであって,特別にCの介護に関する事項を決定するための会議開催の日が予め設定され,同予定に従って会合したとの事実はもとより,そのような会合を控訴人Bが招集し,これを主催したとの事実を認めるに足りる証拠はない。
そして,Tが,家族会議Iの後,控訴人Bと相談の上,G市から自宅のあるH市に転居し,毎日C宅に出向いて,Cが就寝する夜間を除き,Cが在宅している間のCの介護に当たることで控訴人AによるCの介護を補助するようになり,本件事故当時も同様であったことをもって,控訴人BがCの介護を引き受けていたものと,法的に評価できないことは,上記イで説示したとおりである。
そうすると,控訴人Bが,C及び控訴人A夫婦の長男であること,控訴人Bが,被控訴人からの損害賠償請求に対して,Cの遺族代表として対応したことを考慮しても,Cの介護体制について最も責任を負う立場にあったということまではできない。
(ウ) ③の点について
上記アのとおり,本件事故前においてCについて成年後見開始申立手続がなされていれば,控訴人Aの年齢及び心身の状況に照らして,Cについて後見開始審判がなされ,控訴人Bがその成年後見人に選任された蓋然性が大きかったものと推認される。
しかし,上記2で認定した事実及び証拠(乙54~56,66,1審被告E本人,控訴人B本人)によれば,Cの介護は,控訴人Aを含む家族ないしは親族間の話合いで円滑になされ,また,Cの財産管理も,現状維持方針の下で控訴人Aにより従前どおりなされていたため,控訴人らにおいて,Cについて特に成年後見開始申立手続をする必要が意識されることなく経過していたものであって,控訴人らにおいて,ことさらにCに対する成年後見開始申立手続を回避していたような事情はなかったことが認められる。そして,本件事故の開始前においてCについて成年後見開始申立手続がなされていれば,Cについて後見開始審判がなされ,控訴人Bがその成年後見人に選任された蓋然性が大きい状況があったからといって,そのことで,控訴人Bが法的な意味で,Cに対する身上監護に関する権ことがあったものであり,認知症の症状もかなり進行し,常に目が離せない状態であったことは,既に説示したとおりである。そうすると,Cが,常に同じ行動をするとは必ずしも断定はできず,ひとたび一人で外出したときは,場所等の見当識がないことから,どこに行くかは予測がつかない状態にあったということができる。
そして,Cは,本件各徘徊の場合には,徒歩で,あるいはタクシーに乗車するなどして徘徊し,いずれも他者からの連絡等により保護されたものであり,本件事故当時の認知症の状態及び程度に照らすと,いったん徘徊した場合には,どのような行動をするかは予測が困難であり,本件事故のような駅構内への侵入も含めて,他者の財産侵害となり得る行為をする危険性があったということができる。
もっとも,Cは,外出しようとするときは,ほとんどの場合,かばんはどこにあると尋ねて,控訴人Aらがかばんを手渡すまで出かけることはなかったものであるが,実際に,控訴人Aが就寝中の夜間ではあるものの,本件各徘徊は,控訴人Aに気づかれずに外出したものであるから,Cに上記のような習慣があったからといって,Cが本件事務所から外出する危険がなかったということまではできない。
イ 本件事故は,福祉施設Kから帰宅して本件事務所にいたCが控訴人Aが居眠りをした間に本件事務所から外出し,J駅構内の線路内に立ち入ったため,通過する列車に衝突されて発生した事故であるところ,Tは,Cが福祉施設Kから帰宅後は,Cが居眠りを始めると台所で家事等をすることにしており,常にCを見守ることまでは困難であった上,控訴人Aにおいては,自らの年齢や身体の状態から,Cが外出してしまうと,それを追いかけることは困難であったものである。
ところで,本件事務所の出入口には,かつて本件事務所でたばこ等を販売していた頃に来客を知らせるための事務所センサーが設置されていたのであるから,それを作動させることにより,Cが本件事務所の出入口を出入りすることを把握することが容易な状況にあり,実際に,Cが本件事故前に本件事務所から外出する際に事務所センサーが作動していれば,その
センサー音により,うたた寝をしていた控訴人Aのみならず,Cが排尿したダンボール箱を片付けていたTも,Cの外出に気づくことができたものと推認される。
そうすると,控訴人Aは,責任無能力者であるCの介護について,Tらの補助を受けながら,Cの意思を尊重し,その心身の状態及び生活状況に配慮した体制を構築していたものということはできるものの,Cが日常的に出入りしていた本件事務所出入口に設置されていた事務所センサーを作動させるという容易な措置を採らず,電源を切ったままにしていたのであ
るから,Cの監督義務者としての,一人で外出して徘徊する可能性のあるCに対する一般的監督として,なお十分でなかった点があるといわざるを得ない。
したがって,控訴人Aは,監督義務者として監督義務を怠らなかったとまではいうことができないし,また,控訴人Aがその義務を怠らなくても本件事故が発生すべきであったということもできない。
ウ 控訴人らの主張について
(ア) 控訴人らは,控訴人Aについて監督義務者としての過失が認められるためには本件事故の結果発生を具体的に予見することができたことを要するというべきであるとした上,Cが,本件事故当日まで,本件事務所出入口から外へ出て本件事務所の周辺以外の場所に向かおうとしたことはなく,玄関センサーが設置される前の本件各徘徊を除いては家人が気付かない間に自宅周辺から遠方に行くこともなかったこと,Cが自らH駅に向かったことはなく,H駅の改札口から駅のホームに至る可能性は全く考えられなかったことなどを理由に,本件事故の発生を具体的に予見することはできなかったなどと主張する。
しかし,監督義務者の責任無能力者に対する監督義務を怠ったとの監督上の過失の有無は,責任無能力者が実際に行った加害行為に対する過失(当該加害行為の発生を予見できたのに予見せず,又は,その発生を回避することができたのに回避義務を尽さなかったこと)ではなく,責任無能力者に対する一般的な監督義務違反をもって足りることは,上記(1)で説示したとおりであるから,控訴人Aが,本件事故当時,CがJ駅構内の線路内に入り込むことやその結果,同所を通過する列車と衝突することについて具体的な予見がなかったからといって,民法714条に基づく損害賠償責任を免れるものではないというべきであり,したがって,控訴人らの上記主張は前提を誤るものであって,採用できない。
(イ) 控訴人らは,本件事務所出入口を出入りする都度アラームが大きな音で鳴るとCが落ち着いて生活できなくなるなどとして,事務所センサーの電源が切られていたことを論難することは当を得ないと主張する。 なるほど,Cは,本件事務所にいるときは,Tらに何も告げずに本件事務所出入口から外に出て,本件駐車スペースに入って排水溝に排尿したり,近くの公道で街路樹への水やり,ごみ拾い,草取り等をすることもあり,また,Cの排尿間隔は,頻繁にトイレに行くほど短かったのである(乙56,100,証人T)から,本件事務所出入口に設置されていた事務所センサーを作動させておくと,頻繁にアラームが鳴る可能性があったことは否定できない。しかし,そうであっても,Cが一人で外出することを防止する効果を上回るほどの不都合があったことを認めるに足りる証拠はないし,アラーム音が大きすぎるということであれば,それほど多額の費用をかけずとも,音量を調整できるものに取り替えることも可能であったことが認められる(控訴人B本人20~21頁及び29頁)から,控訴人らの上記主張も採用できない。
(ウ) 控訴人らは,①控訴人AがCに対する監督義務を尽くしていたというためには,Cに対する介護として,厳密な意味で,「Cから目を離さず見守る」義務まではなく,控訴人Aの心身の状況から合理的で可能な範囲で,誰かが傍にいてCを見守っていたという程度で足りる旨主張し,また,②Cに対する見守りは,Cが負傷するなどのCの心身に悪影響を及ぼすことを回避するためのものであり,第三者の権利侵害を回避するためのものではない旨主張する。
なるほど,「Cから目を離さず見守る」ということが,監督義務者である控訴人Aに対して,瞬時もCの行動から目を離してはいけないとの趣旨のものでないことは,控訴人ら主張のとおりであると考えるが,Cが監督義務者やその補助者の不知の間に外出し,その生命や身体に対する危害を被ることのない程度にCの行動を把握する必要があることはいうまでもないことであるから,控訴人らの主張①が,監督義務者によるCに対する上記程度の行動把握の必要を否定する趣旨であれば,採用し難い。
そして,重度の認知症を患い,場所等に関する見当識障害がありながら,外出願望を有するCについて,監督義務者やその補助者の不知の間に外出し,その生命や身体に対する危害を被ることのないようにCの行動を把握することは,とりもなおさず,多くの場合,徘徊の末に本件事故のように鉄道線路内に入り込んだり,他人の敷地に入り込んだりして,他人の財産などを侵害することを防止することにもなるという関係にあるから,監督義務者によるCに対する見守りをもって,Cが負傷するなどのCの心身に悪影響を及ぼすことを回避するためのものであって,第三者の権利侵害を回避するためのものでないということはできない。したがって,控訴人らの主張②も採用し難い。
(エ) なお,精神障害上の事由により責任無能力状態にあるCが,監 督義務者の不知の間に外出し,その生命や身体に危害が及ぶようなことがないように,Cの監督義務者等が相当な方法でCの行動を監視し,必要に応じてその行動を阻止したり,その行動に付き添ったりするなどのことが許されることは,余りにも当然のことであり,そのような方法として,出入口にセンサーを設置し,Cが出入りする際にそれが作動するようにしておくことが,上記相当の方法を逸脱するものとは到底解することができない。
エ 以上によれば,控訴人Aについて,民法714条1項所定の免責事由を認めることができない。
5 争点(2)(控訴人らの民法709条に基づく損害賠償責任の有無)について
(1) 本件事故による損害について,控訴人らが民法709条に基づく不法行為責任を負うというためには,控訴人らについて本件事故の発生に対する具体的な予見可能性を肯定できる必要があるものというべきである(最高裁昭和49年判決,最高裁平成18年2月24日第二小法廷判決・裁判集民事219号541頁参照)。
(2) そこでまず,控訴人らについて本件事故の発生に対する具体的な予見可能性を肯定できるか否かについて検討する。
ア 上記2の認定事実と証拠(乙39,40,49,54~56,63,66,99,100,証人T,1審被告E本人,控訴人B本人)及び弁論の全趣旨によれば,Cは,平成14年10月にはアルツハイマー型の認知症を発症し,平成15年頃には既に記憶障害,時間及び場所の見当識障害のみならず,人物の見当識障害も出現し,その後も認知症の症状は進行し,
本件事故発生の相当以前から重度の認知症の状態にあったこと,Cは,平成14年9月にP病院を退院した直後から平成15年にかけて,Qへ仕事に行くと言い出し,Tらの引留めにも耳を貸さないため,H駅の駅員にQ行きの切符が売り切れたと言って説得してもらうなどのことがあったこと,Cは,その後2年間程は,以前勤務していたことのある農業協同組合に,不動産業の仕事をもらいに行くと言って外出したがり,その後は,生まれ育った地域のある「R」に行くと言って外出したがるようになったため(なお,「R」は,C宅から見て,H駅とは反対方向にある。),Tが中心となって,Cの外出願望に応えて,付き添って外出するなどの対応をしていたこと,ところが,Cは,平成17年8月3日の早朝に一人で外出して一時的に行方不明となり,また,平成18年12月26日の深夜に一人で外出して一時的に行方不明となるという本件各徘徊をし,警察に保護されるなどしたが,本件各徘徊は,いずれもTが自宅に帰宅後,控訴人Aと就寝している時間帯の出来事であったこと,控訴人Bは,平成18年12月26日の徘徊があった後,自宅玄関付近に玄関センサーを設置し,Cが夜間に控訴人Aの不知の間に一人で外出することがないようにしたため,夜間の一人での外出はなくなったこと,Cは,平成18年12月の徘徊後も,本件事故で死亡するまで外出願望があったほか,福祉施設Kから帰宅後などにおいて,控訴人AやTに声をかけることなく,本件事務所出入口から外に出て,自宅兼事務所の周辺で排尿したり,街路樹への水やりをしたりするなどし,控訴人AやTがこのようなCの行動を本件事務所内などから見守り,Cも短時間で本件事務所に戻ってきていたこと,また,Cの外出願望に対しては,主にTがCの外出に付き添うなどの対応をしていたが,Cにおいて,電車に乗ろうとしたり,H駅方向に行こうとしたりしたことはなかったこと,本件事故発生の当日,福祉施設Kから帰宅したCは,控訴人Aと本件事務所に居たが,控訴人Aが居眠りした間に本件事務所出入口から外出し,そのことを知った控訴人AがTとCの行方を捜したが,平成18年12月の徘徊後,Cが外出時において電車に乗ろうとしたり,H駅方向へ行こうとしたりしたことがなかったため,H駅やその方面にCを捜しに行くことはなかったこと,Cは,認知症を患った後においても,鉄道の線路に入り込んだり,無断で他人の土地や建物に入り込んだことはなかったこと,なお,本件事故以前から,本件事務所出入口に設置されていた事務所センサーの電源は切られて,作動しない状態にされていたことが認められ,以上のCに関する事実は,Cと同居してその介護をしていた控訴人Aはもとより,Cの長男である控訴人Bにおいても,妻であるTからの報告等により,承知していたことが認められる。
イ 上記アの事実によると,記憶障害があり,時間及び場所等の見当識障害を有していたCについて,日中本件事務所にいるときにおいて,介護に当たっていた控訴人A及びTが目を離せば,Cが控訴人A及びTの知らないうちに,本件事務所の出入口から一人で外出して徘徊し,その所在が不明となることがあり得ることは,これを予見することができたものということができる。
しかし,Cは,認知症を患った後においても,鉄道の線路に入り込んだり,無断で他人の土地や建物に入り込んだことがなかったし,平成18年12月の徘徊後において,外出時に,電車に乗ろうとしたり,H駅方向に行こうとしたりしたこともなかったのであるから,控訴人らが,Cについて,控訴人A及びTの知らないうちに一人で外出して徘徊した場合に,鉄
道の線路内に入り込むような行動をすることを具体的に予見することは困難であったものというほかない。
ウ したがって,Cの起こした本件事故に関して,控訴人らについて,被控訴人主張の過失を認めることはできない。
(3) 以上によれば,その余の点について検討するまでもなく,控訴人らについて民法709条に基づく損害賠償責任を認めることはできない。
6 争点(4)(被控訴人の損害)について
証拠(甲9,17~19,77,78,80)及び弁論の全趣旨によれば,本件事故により,L本線において上下20本の列車に121分ないし122分の遅れが生じたため,被控訴人は,原判決別紙損害額一覧表のとおり,振替輸送を手配するためS鉄道に534万3335円を支払ったほか,本件事故に伴う旅客対応にかかる人件費等も含めて,合計で719万7740円の損害を被ったことが認められる。
7 控訴人Aが賠償すべき損害額について
(1) 控訴人らは,Cが本件事故現場に至った経路について,Cは,本件事務所を出た後,H駅の改札を通ってホームを降り,列車に乗ってJ駅まで移動し,ホーム先端の施錠されていない扉を開けて階段を下り,本件事故現場の線路上に至って本件事故に遭ったものであるとし,被控訴人には,駅構内について駅係員による監視を十分行わず,J駅ホームの先端のフェンス扉を施錠していなかった点で,鉄道事業者として鉄道利用者に対して負う安全確保義務違反の過失があった旨主張する。
ア そこでまず,Cが本件事故現場に至った経路について検討する。
上記2で認定した事実によれば,Cは,平成19年12月7日午後4時30分頃に福祉施設Kから帰宅し,本件事務所で20分程Tや控訴人Aと過ごしたが,Tが家事のため中座し,本件事務所に戻った午後5時頃までの約10分の間に一人で外出し,午後5時47分頃,J駅構内の線路において同駅を通過する下り列車にはねられるという本件事故に遭ったもので
あるから,Cが本件事務所を出て50分ないし1時間後に本件事故に遭ったことになる。
そして,証拠(甲16,52,53,乙100,証人T,控訴人B本人)及び弁論の全趣旨によれば,C宅は,H駅から100mに満たない至近距離に存在すること,Cは,本件事故当時,とぼとぼと歩く感じで,歩く速度は遅かったこと,H駅とJ駅は,L本線の隣接する駅であり,普通電車での所要時間が3分であることが認められるから,Cが本件事務所を
出て本件事故現場まで歩いて行ったものとすると,Cは,本件事務所からJ駅までの距離(なお,H駅とJ駅の普通電車の所要時間が3分であるから,その間の距離はおおよそ3㎞と推認される。)を,上記50分ないし1時間で歩く必要があったことになるが,Cの上記の歩行速度からすると相当に困難なことであり,ほとんど不可能であったものと考えられる。
他方,証拠(甲8の2,甲11~14,61,乙54,56,99,証人T,控訴人B本人)及び弁論の全趣旨によれば,H駅の自動改札機には,無賃乗車を防ぐ通過防止の改札扉が装備されているが,その間には間隔があり,切符を購入しなくても,身体の向きを変えながら1本ずつ足を通過させる方法により,改札を通過することは不可能ではなく,改札を通過す
る人混みの間に挾まれるなどして,通過することも不可能ではなかったし,改札室前を駅員が十分に監視していない場合には,改札室前通路を通過することも不可能ではなかったこと,本件事故は,J駅ホームの先端付近の線路内で発生したが,ホーム先端に設置されている柵には,回転式の取っ手が装着されていたものの,施錠されていなかったこと,Cは,本件事故前,頻繁に尿意を催し,本件事務所周辺等において排尿していたが,Cが本件事故当時身に着けていたズボンの前チャックが開いていたことが認められる。
なお,上記2で認定したとおり,Cは,平成18年12月に徘徊した際には,タクシーに乗車し,Cが認知症患者であることに気づいた運転手の通報により保護されたものであり,その後は,Cの氏名やTの携帯電話の電話番号等を記載した布を,Cの上着,帽子及び靴に縫い付けていたこと,Cは,認知症の発症・進行に伴って金銭に興味を示さなくなり,本件事故当時は,財布やお金を身につけていなかったことに照らすと,Cがタクシーに乗車した場合には,降車までの間に,会話や衣服に縫い付けられた上記布の存在,あるいは,タクシー料金を所持せず,その支払ができないことにより,何のトラブルもなくタクシーを降車することはほぼ考えられない。
以上の諸事実を総合すると,Cは,本件事務所から一人で外出してH駅から電車に乗り,J駅で降りたものの,そこから,排尿のためにホーム先端のフェンス扉を開けてホーム下に降りたものと推認するのが相当である。
これに対し,被控訴人は,Cは,2回目に行方不明になった際にタクシーに乗車したのであるから,タクシーを利用してJ駅に至った可能性を否定できないし,何らかの方法でJ駅に至ったCが,線路と道路を仕切る柵の隙間から線路敷地内に進入し,本件事故現場に至ったことも十分考えられる旨主張するが,タクシー利用がほぼ考えられないことは,上記説示の
とおりであり,被控訴人の上記主張は採用できない。
また,被控訴人は,警察官が,時間をかけて捜査したものの,CがJ駅構内の線路敷地に立ち入った経路を特定できなかったのであるから,Cが本件事故現場に至った経路は不明というほかないと主張するが,Cが本件事故発生場所に至った経路について,警察官がどのような捜査をどの程度したかに関する何らの証拠もないから,被控訴人の上記主張も採用できな
い。
さらに,被控訴人は,H駅のL本線下りのプラットホームは改札口から最も遠いから,Cが下り列車の乗車に至ったことは説明がつかないし,Cは数段の段差すら手すりがなければ歩けないというのであるから,J駅プラットホームの先端から階段を下りることは考えにくい旨主張するが,Cは判断能力がなかったのであるから,改札口から最も遠いプラットホーム
に行くことが説明がつかないとはいえないし,証拠(証人T16頁)によれば,Cは,手すりがあれば数段の階段を下りることができ,手すりがない場合にはゆっくりとぼとぼであれば降りることはできたことが認められるから,歩行能力からJ駅プラットホームの先端から階段を下りることが考えにくいとまではいえない。したがって,被控訴人の上記主張も採用で
きない。
イ 控訴人らは,Cが上記(1)で認定した経路で本件事故現場に至って本件事故に遭ったことについて,被控訴人に安全確保義務違反があった旨主張する。
なるほど,Cが上記(1)で認定した経路で本件事故現場に至って本件事故に遭ったことからすると,H駅において駅員が改札口の状況を監視し,乗車切符を所持していないCの入構を阻止しておれば,また,J駅構内において,駅員が十分に乗客の動静を監視しておれば,さらには,同駅ホームの先端のフェンス扉を施錠しておれば,Cが同駅構内の線路に立ち入り本件事故に遭うことを防止できたものと推認できる。
しかし,CがH駅においてどのようにして改札口を通過したのか,CがJ駅で下車した後,同駅構内でどのような行動をしたのかなどについては,これを確定するに足りる証拠はないし,また,J駅ホーム先端のフェンス扉は施錠こそされていなかったものの,回転式の取っ手が付いていて閉じられていたものと考えられるから,H駅の駅員がCの入構を阻止できなか
ったこと,J駅の駅員がCによる同駅構内の線路に立ち入るのを阻止できなかったことをもって過失ということまではできない。そして,H駅及びJ駅の人的・物的設備について,鉄道事業に供する駅として通常備えるべき安全性に欠ける点があったことを認めるに足りる証拠もないから,被控訴人に控訴人ら主張の安全確保義務違反があったものということまではできない。
(2) ところで,上記4(1)に説示したとおり,民法714条により監督義務者等が負う損害賠償責任は,加害行為者としての責任無能力者に対する損害賠償責任を否定することの代償又は補充として,被害者の保護及び救済のために認められたものであり,無過失責任主義的な側面があり,責任無能力者の加害行為によって生じた損害についての代位責任的な面のあるものであることを考慮すると,監督義務者等が,責任無能力者の加害行為について故意又は過失があって,同法709条により損害賠償責任を負う場合と異なり,同法722条2項に定める被害者に過失相殺事由が認められない場合であっても,同項に体現されている不法行為法における損害の公平の分担の精神に基づき,裁判所は,責任無能力者の加害行為の態様,責任無能力者の資力,責任無能力者と監督義務者等との身分的又は社会的な関係(監督義務者等が責任無能力者の推定相続人であるか否かなど),監督義務者等の責任無能力者に対する監督状況などの加害者側の諸事由と,被害者の被った損害の性質・内容・程度と被害者が受けた影響,責任無能力者と被害者との関係などの被害者側の諸事由とを総合的に勘案して,監督義務者等が被害者に対して賠償すべき額を,監督義務者等と被害者との間で損害の公平な分担を図る趣旨の下に,責任無能力者の加害行為によって被害者が被った損害の一部とすることができるものと解するのが相当である。
上記見地に立って,本件事故により被控訴人が被った上記6の損害について,監督義務者である控訴人Aが賠償すべき損害額を検討する。
ア 加害者側の諸事由
(ア) 本件事故は,重度の認知症患者であったCが,排尿のために被控訴人の営む鉄道事業に供されていたJ駅構内の線路内に入り込み,通過する列車と衝突したというものであって,本件事故によりCは死亡し,その生命を失うに至った。
(イ) Cは,本件事故当時,相当多数の不動産を所有するとともに,5000万円を超える金融資産を有していた(甲21,29の1・2,控訴人B本人)。
控訴人Aは,本件事故当時,Cの妻であり,Cの相続財産に対して2分の1の法定相続分を有するものであった。
(ウ) 控訴人Aは,上記4(4)で説示したとおり,民法714条1項ただし書に定めるところの監督義務を怠らなかったとまではいえないものの,Tらの補助を得て,Cのために相当に充実した在宅での介護体制を構築し,上記監督義務の履行に努めていたと評価することができる。
イ 被害者側の諸事由
(ア) 被控訴人は,資本金の額が1000億円を超える日本有数の鉄道事業者であるところ,本件事故により被った損害は,上記6のとおり約720万円の財産的損害である。
(イ) 被控訴人が営む鉄道事業にあっては,専用の軌道上を高速で列車を走行させて旅客等を運送し,そのことで収益を上げているものであるところ,社会の構成員には,幼児や認知症患者のように危険を理解できない者なども含まれており,このような社会的弱者も安全に社会で生活し,安全に鉄道を利用できるように,利用客や交差する道路を通行する交通機関等との関係で,列車の発着する駅ホーム,列車が通過する踏切等の施設・設備について,人的な面も含めて,一定の安全を確保できるものとすることが要請されているのであり,鉄道事業者が,公共交通機関の担い手として,その施設及び人員の充実を図って一層の安全の向上に努めるべきことは,その社会的責務でもある。
しかるところ,Cは,上記(1)のとおり,H駅から列車に乗車してJ駅に至ったものであるが,H駅及びJ駅での利用客等に対する監視が十分になされておれば,また,J駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば,本件事故の発生を防止することができたと推認される事情もあった。
ウ 上記ア及びイに指摘した諸事由を総合考慮すれば,控訴人Aが,Cの監護義務者として,本件事故により被控訴人が被った損害について賠償責任を負うべき額は,その損害額の5割に当たる359万8870円とするのが相当である。
第4 結論
1 以上によれば,被控訴人の控訴人Aに対する請求は,民法714条1項に基づき,損害賠償金359万8870円及びこれに対する本件事故の日の後である平成22年3月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し,同条に基づくその余の請求及び同法709条に基づく請求を棄却し,被控訴人の控訴人Bに対する請求は,いずれも棄却すべきである。
2 よって,控訴人らの控訴に基づき,原判決中,控訴人らに関する部分を上記1の趣旨に変更することとして,主文のとおり判決する。
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