2024年5月8日、東京新宿区で25歳の女性が刃物で刺され死亡しました。
被害者は、2021年からストーカー行為を受けていたとのことです。
ストーカー規制法では、ストーカー行為とは、同一の者に対し「つきまとい」や「位置情報無承諾取得」などを繰り返し行うこととされています。ストーカー行為をした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金が科されます。
ストーカーの被害者は、加害者に対し、警察からの警告や、公安委員会からストーカー行為の禁止命令を出してもらうことができ、禁止命令に従わなかった場合、2年以下の懲役又は200万円以下の罰金が科されます。
さて、この事件の経過は次の通りです。
2021年12月 被害者から警察に通報あり。店の客に「一緒に帰ろう」としつこく言い寄られたり、店の前で待ち伏せされる。警察は加害者に口頭で注意するとともに、被害者に対しては何かあればすぐに警察に連絡すること、自宅から一時的に別の場所に避難することを助言した。
2022年3月 その後、警察官が定期的に連絡を取って安全確認を行っていたが、ストーカー行為が収まり、被害者の意向により対応を終了した。加害者は、店側とトラブルが重なり、店の出入りを禁止される。
2022年4月 被害者から警察に2回目の通報あり。「出入り禁止にした客が自宅前で待ち伏せしている」とのこと。
2022年5月20日 ストーカー規制法に基づいて、加害者に書面で警告した。
2022年5月25日 その後もつきまとい行為が繰り返されたことから、ストーカー規制法違反の疑いで加害者を逮捕した。加害者は容疑を認めたうえで、「被害者のことが好きで、いつか交際できると思って店に通っていた。交際できないならその金を返して欲しいと思い、つきまとった」と供述し、反省する様子も見せていた。
2022年6月 加害者は、拘留後に釈放され、起訴猶予となったことから、2022年6月から2023年6月までの1年間、被害者の自宅前での待ち伏せや店への入店などを禁止する命令が出された。
2022年6月以降 警察は、月に1度、被害者の安全確認を行っていたが、接触やトラブルはなかった。
2023年7月 禁止命令の期間が終了。被害者が期間の延長や対応の継続を希望しなかったことなどから、警察はストーカー事案としての対応を終了した。
2024年5月8日 殺人事件発生
では、ここから加害者の心理について考察を進めます。
ストーカー事件のおおよそ9割は、警察からの警告や、公安委員会からのストーカー行為禁止命令によりおさまっています。
一方、残りの1割程度は、警告や禁止命令に従わず、警察に通報したことを逆恨みし、憎しみを深める結果となっています。
ここで、事件経過の中から、ターニングポイントとなった行動や供述を考えてみます。
私は、2022年5月25日の「被害者のことが好きで、いつか交際できると思って店に通っていた。交際できないならその金を返して欲しいと思い、つきまとった」という加害者の供述がポイントではないかと考えています。
一見、よくあるストーカー行為の動機や言い訳のようにも見えます。
一般的に、愛する相手を手に入れられなくなると、それまで抱いていた恋愛感情が失われ、被害者の魅力や価値が減少します。しかし、恋愛ストーカー殺人になりうる行動として、今まで気にしてこなかったものの価値、つまりお金が再評価され、被害者に対してこれまで使ってきたお金の返金を迫る、という点を見逃してはなりません。
そして、愛していた相手は、罰を与えなければならない存在へと変わり、脅しへと進んでゆきます。
これが、「愛情」が「憎しみ」に変わる瞬間です。
失恋した多くの人は、異論はあるかもしれませんが、恋愛相手に対して魅力や価値が減少することでしょう。相手を忘れるため、あえて相手の魅力や価値を下げているかもしれません。しかし、これまで使ってきたお金の返金を迫るという行動をとるでしょうか?
「交際できないならその金を返して欲しい」という供述が、まさに恋愛ストーカー殺人に至るかどうかを見分けるポイントと考えます。
相手に貢いだ金額が多額だったので返金を迫ることは普通ではないか?との考えもあります。
しかし、詐欺にあったわけでもなく多額のお金を貢いだこと、そしてその返金を迫ったこと、の二つの行動が、恋愛ストーカー殺人の危険信号と考えて良いでしょう。
事件経過では、その後1年間の禁止命令が出され、その間、接触やトラブルがなかったため、ストーカー事案としての対応を終了しています。1年間、加害者は何も行動を起こしていなかったので、通常であれば、ストーカーはおさまったと思うでしょう。
しかし私は、2022年5月25日以降、憎しみをさらに深めていったものと推測しています。
加害者が反省している様子は、あくまで表面的な反省であって、憎しみは心の奥深くに潜んでいる状態であったと思われます。
恐らく加害者は、禁止命令が出されている間も、被害者の行動をSNS等で監視していたのではないでしょうか。
そして、例えば被害者が幸せそうな様子をSNSに投稿するなど、被害者の何らかの行動を加害者が見た時、加害者に殺意が芽生えたのかもしれません。
つまり、加害者の憎しみが心の奥深くに潜んでいる状態にあるときに、被害者のささいな言動を目にすると、殺人を誘発してしまう可能性があるのです。
「被害者の体には、上半身を中心に刺し傷や切り傷が数十か所あった」との事実が、とても強い殺意と憎しみを表しているのです。
恋愛ストーカー殺人は、どうすれば防げたのでしょうか?
あくまで結果論となりますが、恋愛ストーカー殺人に至る可能性のある人物を見極め、禁止命令以降も、しばらく(5年以上)監視と注意を続けること、に尽きると思います。
この事件の加害者の供述や事実関係で、恋愛ストーカー殺人に至る可能性を見極めるポイントは、次の通りです。
●「被害者の店の経営を応援するために出した1000万円以上を返してもらうつもりだった。そのお金は車やバイクを売るなどして工面したものだった。2000万円を結婚資金として渡した」との加害者の供述。
●加害者の部屋の棚に、店から持ち帰った空のシャンパンボトル4本が飾られ、ボトルに被害者のドレス姿の写真と店で使っていた名前が書かれていたという事実。
精神科医・犯罪学者のエティエンヌ・ド・グレーフは、人は三つの段階を経て犯罪に至ると述べています。
彼の犯罪生成プロセス理論によると、恋愛感情がからんでいる場合、殺人の前に、人間はそれまで費やしたお金を相手に要求し、相手について根拠のない中傷をし、そして周囲に自殺をほのめかします。
具体的には、失恋もしくは嫉妬による殺人では、その恋愛が終わるとき、まずリダクションプロセスが現れます。
愛していた相手を愛せなくなったとき、それまで抱いていた気持ちは失われ、相手の価値は「減少」し、それに反比例するように、いままで気にしてこなかったものの価値が再評価されるようになります。その多くは、相手のために使ってきた「お金」です。そこで相手に対し、これまで使ってきたお金の返金を迫ったり、使ったお金の対価を求めるようになります。
そして、愛していた相手の魅力は減少し、罰を与えなければならない存在となり、脅しへと進んでゆきます。
こうしたリダクションプロセスの先に待っているものは、自分を破壊する「自殺」と、自分を守る「他殺」です。最初に表面化するのは自殺ですが、やがて、「一人ではなく一緒に死のう」とか、「相手を殺して自分も死のう」という考えに変わってゆきます。
このような感情の流れは、いかなる非論理的・非道徳的なものであっても、加害者にとっては、正当化され、繰り返され、積み重なり、確固たるものになってゆきます。そして、加害者が疲れ果て、全てに無関心になったところで、何らかの出来事が最後の一押しとなり、事件が起こるのです。最後の一押しは、普段であればたいしたことのない出来事、例えば、たわいのない友人からの皮肉、相談相手から不用意な一言、被害者の言動、などであり、これらが加害者にとっては最後の一滴となってしまうのです。
一方、犯罪の予防のためには、生育環境の改善が必要となります。
生育環境に何らかの要因があること自体が問題ではなく、そうした要因から解放される望みをなくしてしまうことで、つらい暮らしから抜け出すことを諦め、その状態にも、そんな自分にも無関心になった先に、非行や犯罪があります。
また、親との関係においては、欲望が何でも瞬時に解決されてしまう状態や、十分な愛情を示してくれなかった状態が続くことで、時間の概念がないまま育ってしまいます。その結果、不快な思いをすると、このままずっと不快な状態のままであると思い込んでしまい、世の中は自分に対して不当なのだと結論づけ、「今ここ」「この瞬間」の満足を求めてしまうのです。
犯罪の予防のためには、誰かが苦しんでいることに気づくこと、そして、その苦しみを軽んじないこと。
危機的状況に陥った人間は、誰にも理解されず独りぼっちだと感じる反面、誰かに理解してほしい、助けてほしいという気持ちを抱いているのです。
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